ベテラン摂食障害女の、その後の人生。

病院に頼らずに心身ともに社会復帰したい人のお役に立てればと思い、過去の経験を綴ります。

悲劇のヒロインか渦中のヒーローか。

声優の津久井教生さんによる「ALSと生きる」という連載があります。

https://news.yahoo.co.jp/articles/ca7af4af4586bd2df005f9651e14ce69985d8d50?page=1

 

こんにちは。かつて15〜25歳までの10年間摂食障害だった、アラフォー主婦のユイカです。ちなみにわたしは主に過食・嘔吐型でした。

 

津久井さんが難病「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」であると告知された時の事を綴っている回に、こんな記述がありました。↓↓

 

《舞台の台本で大げさに言えば、患者は「悲劇のヒロイン(ヒーロー)」と「渦中のヒーロー(ヒロイン)」です。  「なんで私ばかりがこんなに辛い目にあうの、酷いわ!」 という悲劇のヒロイン。  一方「これは私に与えられた試練なんだ、これを乗り切ることが使命だ! やるぞ!」 という渦中の中で頑張ろうとするヒーロー。  そしてその患者の周囲にいる人たちは、それを取り巻く配役です。 家族もお医者さんも周囲の方も、ヒロインとヒーローのレギュラー共演者なのです。》

 

悲劇のヒロインか、渦中のヒーローか?

そして周りの人々は、共演者。

 

この表現がとても印象的だった。

 

わたしが摂食障害だった頃、当時のわたしは「悲劇なヒロイン」気取りだったと思います。摂食障害自傷行為に等しい病ですから、渦中のヒーロータイプより悲劇のヒロイン的思考の人の方が陥りやすい病ではないかと思います。

 

ここ、結構大切なポイントだなぁと気づきまして。というのも、悲劇のヒロインが悲劇のヒロインであり続ける為には、運命や共演者から翻弄されたり虐げられたり、悲劇に遭遇する必要がある。

「可哀想なわたし」と「ひどい運命・ひどい人・ひどい仕打ち」が対になって存在していなければ、悲劇のヒロインは生まれません。

「わたし」が「可哀想」な状態でいる事で、誰かや何かを悪者に出来る。

 

今、摂食障害に悩んでいる方で「悲劇のヒロインタイプ」の自覚がある方は、ここを明確にする必要があると思います。

 

例えば親からの虐待によるストレスから摂食障害に悩んでいるならば、

「可哀想なわたし」と「ひどい親」が対になっています。

 

「わたし」を「可哀想」な状態に置き続ける事が、深層心理の中で誰かや何かへの復讐・仕返しと位置づけられているのだとしたら、その「可哀想」な状態は、思い通りに願いが叶っている状態です。治ってしまえば仕返しを続けられなくなる。

だからもし本当に摂食障害を治したいなら、これは検証する価値のあるポイントだと思います。

 

「可哀想なわたし」と対になっている物を探し

現状と、原因を見つめ

「可哀想ではないわたし」が本来望んでいる状態を書き出し

現状との「可哀想なわたし」とのギャップを知る。

 

そのギャップを埋める為に、何をすべきか、どう考えるべきかを知る事は、悲劇のヒロインが悲劇のヒロインを卒業し、ハッピーエンドに近づく第一歩だと思うのです。

 

 

勿論世の中の物語は、ハッピーエンドばかりではありません。

悲劇のヒロインが悲劇のヒロインのまま最期を迎える事を、ヒロイン自身が望んでいる場合もある。

 

しかし、生きているいるうちは、ハッピーエンドもバットエンドも、ヒロイン自身が選べるのです。

 

 

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